
こんにちは。
今日はみなさんによく質問される私が暮らしていた街の話を書いてみようかなと。
東京の西荻窪。
たくさんの想い出詰まった私の中の故郷です。
本当は生まれ育った阿佐ヶ谷が故郷なのですが。阿佐ヶ谷は西荻窪の隣の隣の駅。
もちろん阿佐ヶ谷も良いところなのです。
でも、大学生の頃、西荻窪には面白いお店があるらしい、、という噂を聞いて、行ってみよう!と、自転車で出かけたその日から、もう西荻窪は私の憧れの街になりました。
それまでに見たことのない、アンティーク屋さん、雑貨屋さん、ビンテージのお店、ジャンクな変なお店、それにおいしいケーキのお店。
なにしろ、我が道すすむ個性的なお店ばかり。十代だった私は心踊りました。なんかカッコいいって。
実は、当時あったお店は今はもうほとんどないのです。今も残るサウスアベニューは、やっぱり特別なお店だと思う。
そしてその後に新しく出来たお店も魅力がいっぱい。そういう人達を呼ぶ場所なのかな?
・
その西荻窪に結婚して1年後、20代の後半についに住むことになりました。そして、デザインのお仕事をしながら、長男が産まれてフリーでお仕事をするようになり、
何年かは西荻窪が好きすぎて、「F★B」という西荻案内フリーペーパーも発行していました。西荻のおいしいお店や子育ての話、絵本の話も載せたり、、。(この時に三月の羊さんとの出会いがあり、絵本コラムの連載をしてもらっていたのです)
・
私が西荻窪暮らしでよく思い出すのは、長男の小さな頃のこと。
歩けるようになって、手を繋ぎながら商店街へおつかいに行ったり。
平和通りをテクテク歩いてお花屋さん、八百屋さん、雑貨屋さん、街の人、こんにちはって挨拶しながらプラプラお散歩。
シール屋さんで好きなシールを3枚だけ選んで、、
自転車に乗せてパンを買いに行くと、抱っこしてくれたり。
母の私がいうのもなんですが、長男はとてもオープンな心を持っていて、優しく誰からも受け入れられる気質があるのですが、これはその頃の西荻の街の人達のおかげ、街の人が育ててくれたのだと思っています。
・
西荻では子育てと仕事のおかげで、私自身もうれしい出会いがたくさんありました。親友、すてきな友、たのしいみなさん。
その親友を長男はかあちゃんと呼び、彼女の2人の息子と幼馴染として兄弟のように育ちました。4歳で1人でもお泊りが平気なくらいに。
ですので、安曇野へ移住すると決めた時、私はたった一つ長男が西荻から離れることだけが気がかりでした。
幼馴染、親友、街の暮らし、だいぶ切なく思いました。
小学校の卒業式を終えて安曇野へ向かう車の中、初めてすごく泣いたいた息子でしたが、心強く頑張って、安曇野の中学でよい友達が出来ました。
素朴で素直な友達。心から嬉しかった。
そうそう、息子が西荻で好きなお店は、先程登場したサウスアベニュー。息子はサウスと、サウスの中国茶が大好きなのです。
おかげでお茶の味に厳しい。おいしい西荻育ちは舌が肥えます。
それと、多分、息子に西荻で1番強烈なインパクトを残したのは、ニヒル牛でのイベントで会った石川浩司さんじゃないかしら。今でも時々あの時の天使イベントの話をして家族で笑うんです。最高に面白かった。
好きなことを大切にしているいろんな人が住む街、それが西荻かな。長男はそれを感じながら育って幸せです。
・
そんな大切な街を飛びだすという、、全くもって人生は不思議です。
でも、阿佐ヶ谷で育って西荻で暮らし40歳になり、私は同じ場所で暮らすことしか知らないことに気がつきました。
人生は一度だけ。
私にはいつか住みたいと思っている場所がふたつありました。そのひとつが安曇野。
若い頃に旅してから長い間、好きだった場所。その時が来たように思えました。
もちろん決めた理由はほかにもたくさんあります。次男のこと、夢のこと、家のこと、私の家族のこと。
そんなあれこれとした理由が、なぜかすーっと、自然と集まって呼ばれるように。
・
大事な街が遠くにあるということは、こういうことなのかと、安曇野で暮らすようになって知りました。
気持ちよく穏やかな安曇野での暮らしをとても気に入ってます。あたたかく迎えてくれた安曇野。
そして、その向こうには、いつでも西荻での日々が心にある。
そうそう、お店に立っていると時々西荻窪情報を聞かれるのです。すごくうれしい。
それに安曇野と西荻が遠くて近いことも、よく思うことです。縁が繋がることがよくあるのですよ。

なんだか長くなってしまいました。
オマケ。何故かそれいゆのナポリタンの写真がスマホに残っていたので。
ある意味、これが西荻的なもの。
ゆき